怒れないと怒る必要がないとは全然違う

 
喜怒哀楽と言うものは、
出せなくても、
出し過ぎても、
どちらも、実はつらいのではと思います。

怒りを出したいのに、出せない人は、
出せなくてつらい。

怒りたいのに、怒れない。

瞬間湯沸かし器みたいに怒っている人も
実は、止められなくてつらい。

怒りたくないのに、やめられない。

喜びたいのに喜べない人も、
喜びをどう表したらいいか、
思うように出せなくてつらい。

喜びたいのに、喜べない。

感謝したいのに、感謝できない。

すべては、きっと根本の根本に
つらくても、そうせざるを得ない理由があるのだと
私は思うんです。

たとえば、怒れない人が
小さい頃に親に持ってしまった怒りを
今になって、心理療法で昔の親に吐き出しても、
それでも、まだつらい場合もあります。

なぜ怒れなかったか?

そこが根本の根本だから。

怒ってばかりいる人も、
その怒りの本当の矛先は昔の親だったと気付いて、
やはり、昔の親に対して怒りを吐き出したって、
それでも、まだつらいと思う人もいます。

なぜ、怒りを抱いたか?

そこが根本の根本だから。

感情と言うものは、
今、押さえ過ぎの人も
押さえられない人も、

元々、どこかの時点で
それと同じような感情を
きっと味わったことがある。

そのとき、
ものすごくつらかったから、
それを出した。

そして、何かが起きた。

または、つらいけど出せなかった。
押し殺した。

昔々、何があって、なぜつらかったのか?
そしてどうなったのか?

そんな過去の自分に起きた詳細を知ること、
気付くことで、

あ~そうだったのかと
やっと腑に落ちる。

そうして、それを手放す、解放する。

それによって、
やっと、その感情は、
自然と穏やかな状態に落ち着いていく。

こんなふうにして、
やっと楽になる方もいらっしゃいます。

そうすると、
感情をコントロールしてやろう!
と躍起になる必要などなく、

自然と穏やかになっていくので、
押さえようとか、
努力する必要もない。

怒りと言う感情も、
怒れないのと、怒る必要がないのとでは、
ぜんぜん違う。

怒る必要がなければ、
そこには、つらさは存在しない。

人間の本来の姿は、
もしかしたら、そんな穏やかなものなのかもしれません。

もしかしたら、
こういうのを悟りの境地とかって言うのかしら?

もしそうだとしたら、
悟るって、
実は、そんなに大変なことではないのかも。

穏やかな姿に近づいていくだけなのではないかしら?

もしそうなら、
誰でも実は、けっこう簡単に悟れるのかもしれません。

もっちろん、私もまだまだですが、

でも、そんなに気が遠くなるような道のりとも
思わなくなりました(*^▽^*)

あなたの周りにも、
既に悟りの境地に近い人はいるかもしれないし、

実はあなたも入口に立っているのかも。

そんなことを思う今日この頃。

なりたい自分になれない、
行動できない、

その根本の根本の原因が、
ずっとずっと深~いところにありそうだと
なんとなく思う方、

それを知って、
手放して、解放されて、

穏やかに、
軽やかになりたい方、

ぜひご相談くださいね。